21Jul
![中国](https://i0.wp.com/boom-boomer.net/wp-content/uploads/2019/07/china001.jpg?resize=630%2C370)
”三国志の時代の人口って!?”
「三国志」の時代は常に戦争の連続だった!
その場にいない私でさえ、
当時を想像するだけでも
かなりの人が亡くなっていた事は分かります。
もちろん当時の人口も少ないだろう…
…というのも自ずと想像がつくわけです。
では…
”三国志の時代の人口は
果たしてどれくらいだったのだろうか?”
…ふと気になる疑問なのです。
先日行った「三国志展」でも解説されていて、
もちろん私的に非常に気になったネタだったのです。
では「三国志展」では
どう解説されていたかというと…。
…
・・・
![「三国志展」の図録](https://i2.wp.com/boom-boomer.net/wp-content/uploads/2019/07/threekingdomsten.book07a.jpg?resize=510%2C310)
… ”三国時代の人口は約767万人!!”
※263年頃の人口です。
基本的に人口は戸籍などに登録された合計人数を言いますが、
でも当時は戦争が多かった時代だけに
正確な人口統計は望めないとされています。
それでも
かなり少なかったというの確かな様です。
この767万人という人口も頷ける数字ですね!
今と昔を比べるのもなんですが、
この数字は今の日本の人口の約15分の1ほど…。
国土で比べても中国は日本の約25倍はあるので、
当時の人口がかなり少なかったのが分かりますよね!
でも私が気になった事は
この少ない人口だけではないのです。
…”なぜここまで人口が少なかったのか?”という理由です!
実は今回の「三国志展」では
”三国時代周辺の人口の推移”が載っていたのですが、
ちょっと気になる数字が…
…実は後漢の時代(約2世紀中ごろ)は
約6000万人近くの人口がいたとされています。
それが三国時代(3世紀中ごろ)では
1000万人にも満たない人口に減っているのです!
![問題! …考える](https://i1.wp.com/boom-boomer.net/wp-content/uploads/2015/07/penguinquestion01.png?resize=152%2C149)
…人口が約6分の1まで減少している!
これって凄い減り方だと思いませんか??
というか、
異常すぎる減り方だと思いませんか??
もちろん
戦争の時代だからという理由もあるでしょうが、
それでもこの減り方は尋常じゃないほどです。
実はこの理由を裏付ける
こんな気になる解析結果があったのです!
・・・
まだ研究段階でもあるそうですが、
過去の花粉や種子を分析した結果や
気候に関する記録を分析した結果から~
…当時の年間平均気温は今よりも1度以上低かったそうです。
つまりは三国時代は”寒冷期”だったというのです。
一般的に平均気温が1度下がると
植物の生息期間は1ヵ月短くなると言われているそうです。
現代ではハウス栽培などで
多少気温が低くてもある程度の食物栽培は出来ますが、
当時はそんなハウスなどはなったはずですよね。
・・・
…つまり三国時代の人口が767万人と少なかったのは
単に戦争による理由だけではなかったのです。
寒冷化による不作も大きな要因だった!という事。
こういった当時の環境を知ると、
より三国時代の厳しさがヒシヒシと感じられますね。
一般的に戦争時は兵糧が特に大事とされていたと言います。
そんな寒冷期だった当時では、
なおさら兵糧が大事だっただろうな~と思いますね。
さて、
こんな感じで当時の人口もある程度分かってくると、
一般的に知られている「三国志演義」の数字が
いかに大げさだったのかが分かってくると思います。
例えば
三国志で一番大きな戦で
「赤壁の戦い」という戦がありましたよね!
この時の互いの兵士数はどれくらいかというと…
ちょっとでも三国志を知っている人なら、
説明しなくても分かると思いますが、
正史と演技では全く数が違うのです。
ちなみに
一般的に「三国志」は正史の1つと数えられているもので、
中国の歴代王朝の歴史を伝えた歴史書を指しています。
(より事実に基づいている書物なのです。)
対して「三国志演義」は
史実と創作を織り交ぜた小説版で、
こちらの方はある程度の歴史的流れに沿ってはいるものの、
小説なので大げさに書かれている事も多いのです。
(日本では演義の方が馴染みが深いかもしれませんね。)
赤壁の戦いの兵力で見てみると、
「三国志演義」では曹操軍は100万…
対して「正史」では曹操軍は約20万人だったと言います。
「赤壁の戦い」時の兵力を比べても
実はここまで大きな違いがあるのです。
当時の人口が魏・呉・蜀の3国合計で767万人。
確かに魏は3国で特に人口も多かったとはいえ、
それでも魏の人口は450万~500万ほどと言われています。
そんな魏の人口で
100万人の兵士数はありえないですよね!
演義ではかなりの大げさなのが分かると思います。
確かに「三国志演義」は小説なので、
面白く迫力あるためだったというのも分かりますが。
とにかく私にとって「三国志演義」は、
”三国志”を好きにさせてくれたきっかけの1つ!です。
これはこれで面白いので、
私にとっては許せる数字ですけどね!!
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