12Dec
”諸葛亮と曹操”
”諸葛孔明”と”曹操”の活躍ぶりは
「三国志」の中でもたびたび登場してきます。
特に政治や戦略と言った
武力というよりも知力よる活躍が目立つわけですが…。
そういえば若い頃の私は
武力の応酬に惹かれる事が多かったのですが…
不思議な事に年とともに知力や騙し合いといった
駆け引きに魅了される事が増えてきたんですよね…。
そんな事もあって
孔明や曹操への興味も増してきたわけです。
「人形劇三国志」で登場する孔明と曹操…
今回は海洋堂からの精巧なフィギュアを挙げながら、
2人の名言や活躍ぶりについて触れていきたいと思います。
・・・
”諸葛亮 孔明”
”伏竜”と”鳳雛”のどちらかを得れば天下を得る…
歴史上では劉備がこの諸葛孔明を得ますが
でも結果は天下統一は果たせなかった。
それでも諸葛孔明は
戦略や政治で多くの功績を残しています。
・・・
ちなみに海洋堂から出ている孔明は白と紺の2つの衣装バージョンがあります。
さてここで孔明の名言を…
”内部の守りを固めずに、外部を攻めるのは愚策である。”
”優れた人は静かに身を修め、徳を養う。
無欲でなければ志は立たず、穏やかでなければ道は遠い。学問は静から、才能は学から生まれる。
学ぶことで才能は開花する。
志がなければ学問の完成はない。”
孔明は兵法だけでなく、
こういった教訓、道徳的な言葉も残していて、
それが一族や後世にも受け継がれているのです。
・・・
よ~く見ると衣装や帯のデザインが違うのが分かると思います。
こういった細部へのこだわりは
”さすが海洋堂品質”って感じですね!
そういえば
”孔明”のこんなことわざは知っていますよね!?
”泣いて馬謖を斬る”
これは劉備が亡くなった後、
宿敵の魏を討つため228年に”北伐”を開始した時の事孔明は戦略上重要な要地”街亭”という場所に馬謖を司令官として抜擢します。
馬謖は孔明が可愛がってきた武将で、
将来自分の後継者として考えていた人物でした。しかし馬謖は自らの才知におぼれ、手柄を立てようと孔明の命令を無視。
結果として魏の軍勢に包囲され、
蜀の北伐が失敗に終わってしまうのでした。この敗因は馬謖にあるとし、孔明は泣きながら死罪を言い渡すのでした。
馬謖を許したらどうかという意見もあったのですが、
”必勝必罰”という軍律を遵守する大切さを優先し、
孔明は泣きながら馬謖の死罪を命じたという話です。
・・・
結果的には孔明が率いた数度の北伐も失敗に終わり、
そして234年五丈原にて諸葛孔明は亡くなってしまいます。
そんな折こんな逸話が生まれました。
…”死せる孔明、生ける仲達を走らす”
この海洋堂の孔明のクオリティも凄いけれど、
実際の諸葛孔明もかなり凄かったんだろうな~と思います。
1人の人間でここまで歴史的に影響力があるって…
書籍やドラマなんかを見れば見るほど
よっぽど凄いんだろうな~と思いますね。
先ほどちょっと話しましたが、
諸葛孔明を評価するこんなエピソード…
~司馬徽から
「”伏竜”と”鳳雛”のどちらかを得れば天下を得る」
伏竜は諸葛亮
鳳雛と龐統を指します。
※司馬徽(しばき)は別名”水鏡先生”とも言われ、
特に人物鑑定で名をはせた知識人です。
この司馬徽からの薦めもあり、
劉備は諸葛亮の家を3度訪れ(三顧の礼)…
…
私が思うに三国志の歴史の中で
3本の指に入るほどの名軍師だと思っています。
しかも頭が良くてイケメンで…
(イメージですが)
身長も高かった!そうです。
(今でいうと約180cmくらい?)
これだけ聞くと
羨ましい限りですね!!
さて…
そんな諸葛亮に勝るとも劣らないのが
・・・
”曹操 孟徳”
”魏”の君主で統率力に秀で、
兵法や政治にも精通し人物”曹操”。
それでも天下統一は果たせず
志半ばで亡くなってしまいますが、
天下統一の礎を築いた点ではかなりの人物!
どうしても曹操というと、
悪役的なイメージがありますよね!?
でも個人的には、
曹操は結構好きな人物なんですよね…。
子供の頃はあまり好きではなかったのですが、
なぜか年を取るにつれ好きになってきた人です。
そんな
曹操を色々な角度から撮り、
彼の名言をいくつか挙げたいと思います。
・・・
さてここで曹操のこんな名言…
”法を制して自らこれを犯さば、何をもって下を帥いん”
・・・
鎧と衣装の模様が細かく精密だと思いませんか??
こう見えても手のひらサイズの大きさなのはビックリですね。
”失敗の責任は主君に、成功の功績は家臣に。”
”将なる者、ときに臆病であるべし。
いたずらに勇猛になるべきではない。”
やっぱり君主だけに、
名言も将としての心構えが多いようです。
今で時代に合わせて言えば
”リーダー”としての心構えと受け取れると思います。
・・・
この曹操のフィギュアがまた堂々としていますよね。
ボリューム感があり迫力ある姿は
まさに君主としての器のデカさをかんじさせますね。
さてボリュームと言えば、
曹操は兵法でこんな事をやっているのです。
元々春秋戦国時代に孫武によって書かれた書物「孫子」があって、
その後様々な人物による解説が付け加えられ
計82巻・図9巻と膨大な量になったと言われているのです。
それを曹操が分かりやすく13篇にまとめたのが「魏武注孫子」。
つまり今私たちが良く知る「孫子」になるわけです。
実はこの曹操ですが
かなりの”現実主義”で、
”戦略的”な考えを持った人物だったそうです。
今でいう経営者的な考えの人だと思います。
物語では諸葛亮と曹操が
直接対峙する事はあまりない様ですが・・・
知略戦ではよく対比する形で描かれる事が多い印象です。
どっちが知略において上かは
それは人それぞれだと思いますが、
三国志を語る上では絶対に外せない2人ですね!
とにかく「三国志」は
本当に魅力的な人物がたくさん登場してきます。
もちろん他にもたくさんいますが、
一番有名どころのこの3人は外せないですね!
つくづく三国志の人物は
魅力ある武将が多いと思うこの頃でした。
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